できることをやるだけ、あとは神様にお任せする
日本語の言い回しでいうと、
人事を尽くして天命を待つ
と同じだと思います。
これに似た文章はフランスにもあるそうで、どの国や文化であっても、この生き方の秘訣にたどり着いたのでしょうね。
私は、今、ある場所をお借りしようとしていて、そのためのやり取りをここ1、2週間しています。
持ち主さんがいて、仲介者もいます。
当初は、とんとんとコトが運びそうだったのですが、仲介者さんが入ってから、雲行きが怪しくなり、昨日の時点で、当初お願いしたことはムリです、と言い渡されました。
がーん、となったのですが、なにかあきらめない思いが自分の中にあったので、
私がここで他に何かできることはないか….と、集中してみたら、ふっとあるアイデアが湧いてきたので、それを言葉にして当初とは少し観点の違う提案をしてみました。
今は、その回答待ちです。
昨晩は、どうなるのかな〜とフツーに思考でいっぱいでした。
朝、目が覚めて、窓から山の景色を眺めていたら、まさに表題の言葉が降りてきました。
それで、自問しました。
私は、この件に関して、何度も話にいったし、お互いにできるだけwin-winになるようにというのをベースに考えて、それを提案した。
だから、この件に関して、できることは、もうやった。
あとは、神様がどうされるのか待つだけ、結果がどちらであれ、私はそれを受け入れられる、と思いました。
昨日の提案でも断られたら、それが私にとってベストなことなのだと思えました。
(そしたら、また次に行って、それはきっと何かにつながることになる)
そう思ったら、窓から見える木々の新緑のように、心がスッキリしました。
何かコトがうまくいかないとき、状況に文句を言ったり、関係者を恨んだり、
はたまたうまくいかない運命や自分自身を憐れんだりしてるときは、
よーく吟味すると、そのときまだできることがあるのに、それをやろうとしていなかったり、
ちょっとやってすぐにあきらめて、まだ十分にやりきっていなかったりするときが多いように思います。
ということで、なにかうまくいかないというときは、他者や環境に不満を言う前に、今、自分ができることは他になにがあるだろう!?と自問してみるくせをつけるといいかなと思いました。
それは攻略法をみつけるゲームみたいなもので、他にできることがみつかったとき、うわっ、どうなるんだろう、それ、やってみようと思えるんじゃないかと思います。
実際、私が昨日他になにかできないかと集中したら、ふっと湧いてきたアイデア、それを提案したら、この事象はどう動くんだろう〜と思ったとき、ゲームみたいでちょっとワクワクしました。
先日訪れた、昔の大庄屋さんのお庭の飛石。私は、飛石をみると「人生の選択(ターニングポイント)」という言葉がいつも浮かんできます。
(姫路市林田町にある大庄屋旧三木家住宅です)